35打席ぶりの安打、生還した阪神 中野に平田ヘッドが敬礼!
阪神・岡田監督「そんな出んことはないから、おまえ。前飛んだらどっか落ちるよ」中野の35打席ぶり安打に安ど【一問一答】![]() 「オープン戦、阪神4-2オリックス」(23日、京セラドーム大阪) 阪神は主力の近本や森下、大山が欠場する中、オリックスに勝利した。岡田彰布監督は… (出典:デイリースポーツ) |
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阪神・岡田監督「そんな出んことはないから、おまえ。前飛んだらどっか落ちるよ」中野の35打席ぶり安打に安ど【一問一答】![]() 「オープン戦、阪神4-2オリックス」(23日、京セラドーム大阪) 阪神は主力の近本や森下、大山が欠場する中、オリックスに勝利した。岡田彰布監督は… (出典:デイリースポーツ) |
いよいよ2月1日のキャンプインを迎えるプロ野球だが、セ・リーグ最大の見所は、今年も阪神タイガースになりそうだ。あえて補強はせずに臨むシーズンで連覇なるか、大いに注目される。
指揮を執る岡田彰布監督は昨年に引き続き、放言を連発。1月24日の講演会では、
「自分の給料を上げようと思ったら、開幕投手をやらない方がいい。開幕に投げるとずっと、各チームのエース級と当たるから。勝ち星はあんまり増えないんですよ」
と言いたい放題。さらに2日後の12球団監督会議でも、
「審判まで帽子取って頭下げてるやん。挨拶くらい試合前で終わりにしないと」
審判員への挨拶の簡略化を提言するなど、余裕しゃくしゃくで球界のご意見番と化している。在阪メディア関係者が語る。
「岡田監督は年齢的にも体力的にも、今年が指揮官としてラストイヤーのつもりで臨んでいるといいます。キャンプ地の宜野座でユニフォーム姿が見られるのは、今年が最後かもしれない。後任には岡田野球を継承できる平田勝男ヘッドコーチが急浮上しています。今年は1年間かけてバトンをつなぐ、移行期間になるとみられていますね」
岡田監督最後の年となれば、ぜひとも連覇で花道を飾りたいところだが、今年の阪神にはわずかながら、戦力的な不安が残っている。自慢の中継ぎ陣の蓄積疲労が心配され、野手では調子のムラのある選手が多いことが、懸念材料だ。
「昨年、機能した近本光司、中野拓夢の1・2番コンビは他球団に相当、研究されています。うまく機能しなくなった場合に備え、プランBを用意しておいた方がよさそうですね。また森下翔太、佐藤輝明は調子がいい時はいいですが、悪くなるとスパイラルにハマリ、スランプに陥る傾向があります。キャンプを通じてそのあたりを克服できるかが、焦点となります」(スポーツジャーナリスト)
各球団とも、今オフは戦力補強に乗り出して、勢力図が変わりつつある。果たして阪神の連覇はあるのだろうか。
(田中実)
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まさか「おやじギャグ」連発がCM出演につながるとは。アサヒビールが阪神タイガースの平田勝男ヘッドコーチに、CMオファーを出したことが判明したのだ。
それは38年ぶりの日本一に輝いた、ビールかけでのことだ。平田ヘッドは中締めの挨拶で壇上に立つと、
「宴も竹中直人ですが、日もとっぷり暮れたところで、中島みゆきさせていただきます」
オヤジギャグ連発し、続けてこうも言って選手に檄を飛ばしたのである。
「38年ぶり、岡田監督・平田ヘッドの選手の頃に、やっと君らは追いついた。これからは追い越してみろ」
そしてハイライトはここからだった。
「いいですか、全国の野球ファンの皆さん、お疲れ生です」
アサヒスーパードライの瓶のラベルをカメラに見せながら、ニッコリ。さらに畳みかけるように、
平田ヘッドが繰り出す「昭和のオヤジギャグ」が令和の若い選手に響いたかどうかはさておき、アサヒビールの社内は大層ざわついたようである。
同社のマーケティング部・倉田剛士部長は、
「緊急会議をさせていただきました。その結果、早速オファーをさせていただくことになりました」
と明かしたのだ。
持ち前のひょうきんさが功を奏した形になった平田ヘッドは、1959年生まれの64歳。長崎・海星高校で1976年の2年次から、ショートのレギュラーに定着。同年夏には、1学年先輩のエース、「サッシー」酒井圭一投手を擁して甲子園に出場した。翌年の春・夏の甲子園にも連続出場し、明治大学に進学。在学中に明大は東京六大学リーグで4度優勝し、平田ヘッドはベストナインに4回も選ばれている。
1981年にドラフト2位で阪神に入団すると、2年目の1983年にはショートのレギュラーを奪取。1985年の日本一に主力選手として貢献し、ゴールデングラブ賞を4度受賞するなど、守備の名手として活躍した。
1994年に現役引退後は野球解説者、阪神コーチや裏方として活動。2002年に明大の先輩である星野仙一氏が阪神監督に就任した際には、監督専属広報となった。
「昨年秋、岡田彰布監督が復帰した時には、親と子以上に年齢の離れた監督と選手のコミュニケーションを心配する声がありましたが、根っからの明るい性格の平田ヘッドが間に入ったことで、うまくいった部分が大いにあったと思います」(スポーツ紙デスク)
平田ヘッドの出演CMがどのようなものになるのか、楽しみに待ちたい。
(石見剣)