巨人が弱体化したのは、原監督のマシンガン継投のせい?!
巨人が2年連続Bクラスの4位で23年シーズンを終えた。今季の成績は71勝70敗2分。最終戦でどうにか勝ち越したものの、シーズンを通して優勝争いに一度も絡めなかった。なかでもライバル球団である阪神には6勝18敗1分と、いいところなく終わってしまった。
そこで、今年の巨人と阪神の対戦結果から見えてきたもの、とりわけ中継ぎ投手の起用方法がどうだったのかについて分析していきたい。
◆巨人打線を封じた阪神投手陣
まずは阪神から見ていく。
阪神が巨人戦で登板させた投手の数は105人。イニングの途中で投手を交代させたのは、25試合中全部で13回。そのうち次の打者、あるいは2人目の打者に打たれて失点をしたのはわずかに3回だけ。確率で言えば2割3分となる。
次に阪神が巨人に対するイニング別の失点を見ていくと、次のようになる。
1回=4失点、2回=2失点、3回=9失点、4回=5失点、5回=9失点、6回=16失点、7回=9失点、8回=14失点、9回=3失点、10回=1失点、11回=0失点、12回=0点
序盤から中盤にかけてはあまり大量失点していない。6回と8回は2ケタ失点しているものの、全体を見れば阪神の投手陣は圧倒的に巨人打線を封じていることがわかる。まさに前評判通りの実力を発揮したと言えよう。
◆「魔の8回」ならぬ「魔の7回」
続いて巨人を見ていく。
巨人が阪神戦で登板させた投手の数は117人。この点は阪神とそう大差はない。次にイニングの途中で投手を交代したのは、25試合中で全部で26回。阪神の倍の数である。そのうち次の打者、あるいは2人目の打者に打たれて失点したケースは15回。つまり、5割以上の確率で打たれて失点しているということだ。
次に巨人が阪神に対するイニング別の失点を見ていくと、次のようになる。
1回=3失点、2回=11失点、3回=18失点、4回=9失点、5回=11失点、6回=8失点、7回=26失点、8回=14失点、9回=7失点、10回=1失点、11回=3失点、12回=0失点
こうして見ていくとわかる通り、7回に最も多く失点を重ねている。
巨人はシーズンが始まってから2ヵ月ほどの間は8回に失点していることが多く、多くのメディアから「魔の8回」と言われていたが、この数字を見る限り阪神戦においては「魔の7回」となっていることがわかる。
◆「魔の7回」が決定的になった出来事
さらに見ていくと、巨人が7回のイニング途中で投手交代をしたのは9試合。そのなかで失点をしたのは6試合にのぼる。つまり「魔の7回」には、ほとんどのケースで交代した投手が打たれて失点を重ねたことになる。
どうして「魔の7回」となってしまったのか。シーズン序盤の5回戦までは巨人は阪神に対して7回は無失点に抑えていた。それが5月26日からの甲子園の3連戦で立て続けに7回に先制、あるいは逆転されて3連敗を喫した。この頃から雲行きが怪しくなってきた。
その後、7月2日の東京ドームでの11回戦で、巨人の高梨雄平が7回に近本光司に死球を当ててから、「魔の7回」は決定的なものになっていく。この試合こそ延長12回を戦って2対2の引き分けに終わったものの、巨人は以降の14試合のうち7回に失点したのは7試合(18失点)にのぼり、この間の成績は1勝6敗と惨敗に終わった。
◆中継ぎ陣の弱体化を招いた「マシンガン継投」
阪神の救援防御率は、セ・リーグトップとなる2.37なのに対して、巨人はリーグワーストとなる3.81となってしまった。背景の1つに、原辰徳前監督の継投が挙げられるのではないだろうか。
もともと原前監督は積極的に継投を行っていたほうだったが、第三次政権となった19年以降はそれがより顕著になって表れた。交代した投手がピンチを拡大させると見るや、すぐさま交代させてはピンチを脱しようとする。
19年、20年シーズンはどうにかセ・リーグ連覇は成し遂げることができたものの、21年シーズンは9月以降に失速。去年、さらには今年と中継ぎ投手の脆さを改善できずに、2年連続Bクラスに沈んだ。
今年の開幕前、優勝予想をした際、多くの野球評論家が巨人を挙げなかったのは、中継ぎ陣に弱点があることを指摘していたのも一因であるが、原前監督の「マシンガン継投」が中継ぎ陣の弱体化と大きく関係しているのではないかと、私は見ている。
◆わずか1球で降板させられた高梨
今年の阪神戦ではこんなことがあった。
8月10日の東京ドームでの試合で、巨人の鈴木康平が1点ビハインドの9回に登板すると、1死後に木浪聖也にストレートの四球を与えた。岡田監督は続く投手の島本浩也に代えて糸原健斗を起用。直後に原前監督は投手を高梨に交代。すると、岡田監督は代打の代打で原口文仁を起用した。
この場面、高梨としては早めにストライクで追い込んで勝負したいと考えていた一方で、近本の死球の一件で、内角は攻めづらい。そこで初球は内角への厳しいストレートではなく、スライダーを選択。だが、このボールが真ん中付近に投げ込まれると、原口は待っていたかのように振り抜き、打球は左中間スタンドに一直線に飛び込んだ。その結果、この試合を決定づける一打となったのである。
この直後、原前監督がマウンドに向かうと、堀岡隼人に交代。高梨はわずか1球での降板となった。
◆原監督のやり方では「一人前にならない」のか
また、9月13日の甲子園球場での試合では、先発した横川凱が3回に2本の安打と四球を与えて無死満塁としたところで松井颯と交代。大山悠輔を三振に打ち取ったものの、続く佐藤輝明に右中間へ満塁弾を打たれ、これが決勝点となって巨人は敗れた。いずれも継投からの被弾である。
かつて1980年のドラフトで原を抽選で引き当て、巨人の監督を通算7年間務めた藤田元司は、現役時代、スター選手だった野手が監督を務めた弊害について、自著でこう語っている。
「投手は監督から早く交代させられると、責任を他へ転嫁させたがるものである。現役時代、打者として活躍した人間は、投手が少しでも調子を崩すと、危なっかしくて見ていられない心境になるのだろうが、これでは投手は育たないのである。
長いペナントレースにおいて、ピンチになったからと言って、そのたびにリリーフを仰ぐようでは、一人前の投手に育たない。またリリーフ投手も他人が招いた苦労を背負わされてばかりいては、やがて疲弊してしまう」
◆藤田氏が続投の目安にしていたのは…
藤田はどんなに塁上に走者を出しても、決して点を与えない投手を評価していた。中継ぎで出てきた投手が1~2回を完璧に抑えてくれるのが理想だが、そう毎回できるものではないと考えていたからこそ、どんなに塁上を賑わせても辛抱強く投げさせ続けた。
もう1つ、藤田が続投の目安にしていたのは、相手チームの選手たちの反応である。打てそうなボールが来るのに、バットを振れば内野ゴロの山を築いて、「あれ? おかしいな?」という表情でベンチに引き上げていく。あるいはいい当たりを打っても野手の正面を突いて、悔し気な表情を浮かべてベンチに戻っていく。
「たとえどんなにバットに当てられていても、相手が打ち込んで点をとるまでにはいたっていないのだから、わざわざ投手を代える必要がない」という結論にいたり、続投させていたというわけだ。
それをせずに、「先手先手を打って継投しているつもりでも失敗するのは、相手チームの反応を見ていないからである。相手が嫌がる投手は誰なのか、この点を見極めていれば継投は難しいものではない」と、藤田は主張している。
◆課題が山積するなか、阿部新監督はどう動くのか
あらためて原前監督の投手起用を振り返ると、まさに藤田の指摘しているポイントが当てはまる。中継ぎ陣が疲弊し、脆弱になっていた過程をたどっていくと、藤田のような投手起用を行っていなかったことが原因の1つと考えることもできる。
10月14日、巨人は原前監督に代わって阿部慎之助新監督が新たに始動した。2年連続Bクラスに沈んだ巨人には走攻守ともに課題が山積しているが、中継ぎ投手の強化もその1つに当てはまる。阿部新監督が捕手出身者ならではの観察力や洞察力、分析力などを働かせ、根気よく投手を起用できるのか、今年の阪神との戦いの結果をどう反省して来年につなげていくのか、彼の指導力と采配に注目していきたい。
<TEXT/小山宣宏>
【小山宣宏】
スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)

(出典 news.nicovideo.jp)
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