岡田阪神 ダメ虎を再生した野村と星野の存在
甲子園での巨人戦は「撃ちてし止まむ」の異様な盛り上がりをみせた。勝利の翌朝、ABCラジオの中村鋭一が「六甲おろし」を高鳴らし、駅売りのスポーツ紙は完売。オッサンたちに交じり、小学生の私も狂喜乱舞していた。
だが、無念にも阪神は巨人を凌駕できぬ。でも、ファンは敗者のカタルシスに酔った。いや、あの状況は醜ルサンチマン悪な怨恨と嗤わらわれても仕方なかろう。 とはいえ、星飛雄馬より花形満、鉄腕アトムじゃなく鉄人28号、ゴジラに比べたらガメラ・・・・本命ではなく対抗に惹かれる私にとって、阪神を応援するのはごく自然なことだった。
ここで、例のモヤモヤが生じてくる。ビジター球場を埋める虎党は「東京嫌い」「アンチ巨人」「偏狭な郷土愛」と関わりがなかろう。
ならば阪神のどこに魅了されるのか、なぜ三塁側を埋め尽くすのか? 仮説として「吉本興業全国制覇余波論」がある。
80年初頭の漫才ブームを発火点とし、90年代から吉本は明石家さんまや島田紳助、ダウンタウンらを核弾頭に東京侵攻を開始。10年ほどで大阪ローカルを脱し、所属タレント数、売り上げとも日本一のプロダクションになってみせた。
吉本の台頭で大阪弁が市民権を得た。あの頃は東京出身の若手芸人もヘンな大阪弁を喋っていたものだ。
劇場に押し寄せた若いファンだって真顔だった。
東京のみならず地方にも少なからずあったはず00の大阪アレルギー。それを芸人が払拭した。当時の若者は今やアラフォー、彼らの子の世代なら大阪への違和感はさらに少なかろう。
吉本のおかげで大阪ローカル文化への注目度は爆上がりした。鶴橋や新世界なんてAランクのデンジャラスゾーン(あくまで私見です)にギャルが押し寄せていると知り、眼が点になったものだ。
かくして阪神も「クセの強いオモロイ球団」としてお笑い芸人同様の人気を得た・・・・。
私はこう睨んでいる。
野村克也と星野仙一の存在も大きい。両人は大阪土着、阪神プロパーの人材ではない。そんな彼らがダメ虎を再生してくれた。ことに03年のリーグ制覇、ドラマチック星野劇場! あれでファンが急増したのは間違いなかろう。
事実、観客数はこの年に初めて300万人を突破、以降11年まで巨人を抑えトップを堅持した。
さらなる仮説として「偏屈者普遍論」もある。
要は全国どこにでも、私のようなヘンクツ者がいるということだ。生粋の江戸っ子ながら、阪神を身贔屓するファンがいても不思議ではない。何が何でも地元チームを応援しなければいけないという法もない。
思えば大阪にもけっこう巨人ファンがいた。ただ、彼らが総じてガラの悪いオッサンだった事実は揺るがない。甲子園ではしばしば両軍ファンが激突、たいてい巨人ファンの圧倒で終わっていた。哀れ、阪神は腕力で巨人に敵わず。
先だっては、川崎市溝の口の小汚い居酒屋で隣に座った若僧が自慢していた。
こやつと両親は関東人、一家揃って「阪神DNA論」の信奉者らしい。なるほど私の息子は神奈川で育ち、大阪弁なんぞ口にしたことがない。それでも立派な阪神ファンに成長した。ううむ、猛虎遺伝子恐るべし。
だが、件の若僧とは肝かん胆たん相照らす仲にならなかった。阪神を肴にすると酒がまずい。これも私の抱えるナンギなモヤモヤのひとつ。
「すべては40年前のあの一件からや」
岡田阪神の快進撃を祈りつつ私は呟くのだった。
増田晶文(ますだまさふみ・作家):昭和35(1960)年大阪生まれ。今月、時代小説「楠木正成 河内熱風録」(草思社)を上梓。
*資料・文献は最終回に掲載します
(出典 news.nicovideo.jp)
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